痛ましく悲しい(個人的なお話です)

犠牲になられた方々にただただ黙祷・・・合掌です

朝起きてTVをつけたら報道されていて
一気に障害のある娘を介護していた頃の親の心境に引き戻されました

おかぁちゃんは
車椅子マラソンを提唱された故中村先生がおられた大分で育ちました
町中でも障害の方を良く目にしましたし
天皇皇后様も時々別府の太陽の家に慰問にいらっしゃいますし
人々も障害の方に自然な接し方の方が多いし
だから娘の病気が分って医療が確率されてる首都圏に転院する時に
当然地方都市の大分がこうなのだから首都圏はホントに進んでいるだろうと
暢気に構えているところがありました
確かに医療や役所の補助や電車や道路や建物などは数段の進み方でした

ハード面は確かに先進国並でしたね
ただそれを使うのは人ですね・・そう問題はソフト面

地方にいた時良く大変ゃなぁ~不憫やなぁーと言われました
今思えば何もして上げられないけど分ってるよと心の底からでた優しい言葉達ですよね
都会に出て来てからはそれらの言葉たちは聴く事がありませんでした
ちゃんとそれなりの補償はしているしやっていけるのだからと
ちゃんと甘えないで個人でやっていきなさいと
突き放すというと違和感がありますが
自分たちも大変で忙しいんだから自分で好きにやってよという
やはり都会特有の他人様には介入しないという個人主義かな?
心の底からでる優しい言葉や思いやりに出逢う事はあまりありませんでした

ぶっちゃけて言えば
義父母からは血を分けた孫に対するお金の補助はありましたが
実際に自ら手を汚して孫の介護するとかはありませんでしたし
おかぁちゃんに労りの言葉は聴いたことはありませんでしたね
まぁ今更それがどうって言う事もないし確かにお金は大切です

その頃20軒もの障害者がすむ障害住宅に住んでいましたが
重度の方のお世話をちょっとでも軽い障害の方が手伝うという
暗黙の約束?がありましたし
しなければ村八分という過激な方もおられましたし今思えばとても大変でしたね

そしてだんだん
自分が年をとって行く時に誰1人手助けをしてくれないという状況は
確実に精神や体が疲弊していき心が病んで行きました


そして施設というものを考えるようになるのですが
大きな施設であっても入れば終身なのですから
オープン時に入所しなければ空きはないのです・・入所出来た方はホントラッキーな方です
そしてやはり又こんな大きな施設であっても動かすのはソフト
そうです・・・人です★・・・とても難しいです・・入所してもまた親は無駄な心配の連続です

今故郷に帰ってきて思うのは
まだまだ当たり前にある人の暖かさ優しさですが
それも都市化の波に飲まれそうになってきていて
一番脆弱なのはやはり人なんだなぁ~
都市化と優しさはある意味反比例するものなのかも知れませんね~
この日本から消える日も近いかなあ~とちょっと悲観的なおかあちゃんです

こんな事件が起こってもしかして出生前診断が話題になるかもしれません
でもそれを受ける人をあれこれいうのはちょっと違うと
妊娠を自然にと言うのならば
お産も自然にと言わなければ
片手落ちの論議じゃないかなと知識もないけどおかあちゃんは思います

医療の進歩もまた諸刃の剣なのかも知れないねぇ~

ただただこれは他人様のことでは無くて
これからのおかあちゃん自身が気を付けることですね

どうぞ八百万の神様仏様この方達の魂をお救い下さいませ